2002/7/19 page 2/3
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-社会と地球の環境を意識して- 21世紀いかに生きるか
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EU(欧州連合)と米国とWTO(世界貿易機関)
ボヴェたちはこの事件の前にも反核・環境運動家としてさまざまな直接行動を起こしているのである。その直接行動のひとつには遺伝子組み換え作物に取り組むある多国籍企業の施設を破壊しようとするものまであったそうである。こう続けてくると彼が過激な活動家のような印象を受けるかも知れないが、ジョゼ・ボヴェ自身は有名なロックフォール・チーズのいち生産者である。
実は今回のマクドナルドの店の破壊という、彼の行なったこのような一連の直接行動には伏線があった。それはEU(欧州連合)と米国の問に起こった貿易摩擦だった。これはある意味においては南北問題でもありグローバル化とWTO食料と経済の問題でもあった。まずEUが国内産、輸入品を問わず、成長促進のためにホルモン剤を使って飼育された牛の肉の売買を禁じたことから始まる。例によって米国はWTO(世界貿易機関)を使ってこのEUがとった禁止の処置を自由化に反する不公正な禁輸措置であるとしてその撤回を迫ったのである。経済のグローバル化を推進するWTOはこうした対立にあたっては社会的な悪影響、環境破壊、健康被害といった側面を無視してまでも多国籍企業による貿易促進の方をとるのを常としているのである。この時もWTOは米国の主張のとおりEUの措置を不法としたのだった。そしてEUがこれに従うのを拒否するとWTOは米国に報復措置としてヨーロッパからの輸入品への関税を引き上げることを許可した。その輸入品の中にボヴェたちが 生産するロックフォール・チーズがあったというわけである。
ボヴェはいう「世界は売り物じゃないぞ」
1999年の終わりのシアトルでのWTO会議を反グローバリズムのデモが包囲したいわゆる〃シアトルの反乱〃でも、ボヴェを筆頭とする"ミヨー・10"は英雄だった。2000年の6月には彼らの裁判闘争の支援のためミヨーの町に五万人が結集した。(2000年7月15日の朝日新聞によれば四万人)デモ隊のユニフォームとなったTシャツには「ル・モンド・ネ・パ・ユヌ・マルシャンディーズ(世界は売り物じゃないぞ)」というボヴェのことばが記されていたという。フランスの世論調査でも六割以上の人がボヴェを「勇敢」「誠実」と評価した。
このフランス人の感覚がすごいとわたしは感じるところである。かえりみて日本ではどうだろう日本ではこのような直接行動はなかなか受け入れらえないだろうし活動にも発展してゆきにくいと思う。それは農民と農民どうし農民と消費者のつながりが、経済というものによって断ち切られ連帯ができない状態が長く続いてきたからだと思う。日本の一般の人々にこれらの本質についての興味を持ってもらえるかどうかも難しいと感じる。たいていが均衡を意識したマスコミに批判され収束してしまう場合が多いのではないだろうか。農業そのものや生産者と消費者の距離がフランスでは近いと想像できる事件であった。また食の安全の問題をグローバル化をはかる米国の脅威ととらえる認識が市民の中にあるのだ。
命を金に換算することを拒否する
こうした事態について取材したドネラ・メドウズとハル・ハミルトンは、ボヴェの住む村を訪ねて次のような注目すべきことを報告している。このわずか六、七世帯の小さな村には(ボヴェの住む村は六、七世帯の小さな村なのである!)週に一度の市がたって、近隣の村々から多くの人々が各々の農産物や工芸品をもって集まる。人々は持ち寄った食べ物やワインを共に料理し、食べ、飲んで、歌う。芝居も出る。ここには生産者と消費者の区別がない。あるものはひとつの共同体があるだけである。
何世紀も続いてきたラルザック地方の生活の基本的なかたちがここにある。ボヴェの抗議行動が象徴的に対比してみせたのはこうした暮らしぶりである。つまり「スロー・ライフ」とマクドナルドや遺伝子組み換え作物に代表される「ファースト・ライフ」だったといえる。メドウズとハミルトンは言う、市場交換の論理によって支配されるようになった文化の中では一切が商品化される。私たちの時間も、知も、風景も、水も、そして食べ物も。ボヴェとその共同体の人々はこれに否と言う。われわれはまっぴらだと、そんなシステムに巻き込まれるのはごめんだと。人間関係、土地との関係、そして自分たちの命を金に換算することを我々は拒否すると、工場でつくられた食べ物をWTOによって口に押し込まれるのはごめんだと。われわれには自由貿易や安価な食物より大事なことがある。それは、共同体、文化、味覚、仕事、自然だと。
われわれが守るべきもの
フランスのジョゼ・ボヴェたちとわれわれも同じである。自由貿易や安価な食物よりも大事なものある。日本の農民たちも決して従順で、愚かで、日和見で、知恵が無く臆病ではないのだ。日本の未来は農民が握っているのだと誇りを示して欲しいと思う、生活の基本的なかたちや共同体は大都会ではなく、地方で造り出す事が可能だとボヴェの住む村が教えてくれているのだ。豊かな共同体こそが人々をしあわせにする力をもつのである。そんな社会を作るキーワードに「スロー・フード」があるとわたしは思う。スロー・フードとは、口から入れる食べ物を通じて、自分と世界との関係をゆっくりと問い直すことにほかならない。自分と友、自分と家族、自分と社会、自分と自然、自分と地球全体の関係を問い直す言葉だと思う。わたしはまだ間に合うと信じる諦めないことこそが希望につながる思う。21世紀ユートピア論ではない現実のものへイタリアやフランスに見る豊かでスローな思想を持った農産国日本そんな風になればと思うのである。
(文: 高橋 栄策)
つぎのお話へ続く
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2006.1.2 より
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