2002/11/3 page 1/1
なぜ人はホームページを作るのか
わたしたち人類はインターネットという無限の可能性を秘めたコンピュータネットワークを手に入れた。そしてこれらを使い誰もが世界に対して、自由に安価に自己表現ができるようになった。文章、写真、映像、音楽と表現できる領域はどんどんと広がり。やがては人が考えつく、すべての表現が可能になる時代がやってくるだろう。いや技術はそれ以上に進歩するかも知れない。まさに世界のすべての人が表現者となる時代の到来である。
人はなぜホームページを作るのかと問われれば、他者へ対しての自己表現の場、または表現者として内なるの渇望ということになるのだろう。テキスト=文章を通じての表現をする場合。とりわけそれが日記という形態をとる場合は書き手の思想・感受性の一部がネットに漏洩する。それは堆積し凝り固まり、やがては作者の人間性や心緒風景へと成長する。いわば情報と同様に人格のバックアップがネット上に形成されてゆきコンピュータのメモリが人格を持ち出すのである。
ある意味においてリアル=現実の自分に具体的な意味を見出し難いと感じている現代の個人が、自分自身のサイトにアップされた文章をながめてみた時に、そこには間違い無く社会との関係性や具体的な存在の意味を持つ自分がある。ときには自身が意図した以上に等身大の自分に近い姿であったり、または他者からそう思われるであろう仮想の自分をそこに見ることができるのである。わたしたちは幼年期の母親との密接な絶対の関係から、幼稚園や保育園、学校という場をへることにおいて他者との関係性を理解してゆくのである。ある部分では他人と同じであったり、または違っていたりし、その訓練により他者との違いを知り自己を確立することができるのである。
人の精神活動=人格は、言葉=テキストの集積にほかならない。わたしたちは他者に発した言葉を介して、他者の中に自己像を形成されていく。それらは言葉を発した本人自身が認識することは難しい。しかしネット上に形成されたテキストによる自己は、仮想の他者との対話を通じて他者を可視化するとともに、自己を確認することの作業につながっている。日々の生活の中で放散していく言葉を日記という形でホームページに記録することで、自己像を確かなものに固定してゆくのだ。そして自己を他者と共有するこれらの作業により自己をより強化してゆく。ネット上で文章を書く動機には、きっとそういう欲望が潜んでいるのだ。「ひきこもり」と云われる人々がネットを通じて社会との関係性を取戻している事例などは、この自己の発見だといえる。従来までは自己表現とは作家やクリエィターという特権的な一部の人のものだったのだが、今ではネット環境を手にした誰もがそれを行うことが可能となった、ホームページを作る行為とは、実は表現と自己像の確立を行なっている行為とはいえないだろうか。
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