channel-e.tv Top>>voice Top>>へろへろ通信>>にちにち日記>>戻る

 page 1/1 1997.1/27 


阪神大震災より2年!
─ いま想うこと、これからに想うこと ─


 
人には良くしてあげたい、
そんな気持ちはだれにもあるんだ

 あの日から2年。震災で亡くなられた全ての人の追悼と。いまなお不自由な生活を仮設住宅で過ごされているお年寄り。厳しい不景気の中、家族のために毎日がんばっておられるお父さんやお母さん。心の深いところで傷ついてしまった子供たち。そんな人達に一日でも早く幸せな日々が訪れますように。

 いまも神戸では報道されない問題や個人の力では解決できないことも多く残る。被災地以外の人々の関心が薄れるとともに、それらの問題は深く内面化してきているといえる。2年がたって生活は少しも良くなっていないというのが実感だ。人々の生活も含めてもとのような神戸の町にもどれるのはまだまだ先のことだと思う。しかし「希望」や「夢」「勇気」を忘れず。人々と共に知恵を出し合い。少しでも神戸の町の復興と被害を受けられた方々へ支援とお手伝いをすることができたらそう願う。人に対して何か良いことしてあげたい。そんな気持ちはだれの心の中にあるもんだ。そう感じ気付かされたのは、実はあの阪神淡路大震災の渦中でした。

 
神戸で見たもの忘れないもの・・・

 神戸に住む母と兄の安否を確認するために神戸の町へ17日に入った。そこで目にしたあの日の惨状はいまも忘れられません。神戸で生まれこどものころから慣れ親しんだ街並みが完全に破壊された光景。ひどいその姿をみて涙がとまりませんでした。幹線道路はいたるところでアスファルトが隆起して分断されひどい交通渋滞でまったく動かない。完全に都市機能が停止していた。逃げ込んだ裏道も民家が倒壊したがれきで道をふさいでいた。それでも道を選び選び抜け道を探した、昼頃に出たがついたころはずいぶん暗くなっていた。町は地震で電線も寸断され明かりもなかった、ところどころで人々が集まりがれきを薪にして暖をとっていた。その明かりが点在するだけだった。車で母のところに向かう途中、真っ暗な中で完全に倒壊した家の前でひとりたたずむ初老の女性をみた。暗闇に人の姿にドキッとした。わたしの車のライトに照らされても身動きひとつせず、ただ放心したように家の方をじっと見ているだけである。家の人に不幸があったのだろうか。何か見てはいけないようなものを見てしまったような、つらく沈んだ気持ちになった。

 そんな人々の悲しみの光景があちらでもこちらでもみられた。悲惨だった。哀しくてやりきれない気持ちになった。これは夢ではないのか、この世の出来事だとは思えなかった。本当にこんなことが起きていいのだろうか人間は何もできずこんなにも弱い存在なのか。くやしかった。そんな思いをあざけるような圧倒的な自然の大きな力だった。そしてこんなに被害が大きく、苦しんでいる人が沢山いるのに、政府は有効な手だてを何ひとつ打つことができない。消防は交通渋滞で現場へ進めず、水道管が破裂して消火栓が使えず、やっとの思いでつないだ消火ホースは車のタイヤに踏まれ水が来ない、これでは肝心の火を消すことができない。警察は交通渋滞で手がはなせず、頼みのはずの自衛隊は現地が混乱して正式の要請が出ず動けずにいた。マスコミはヘリを飛ばすだけで見当はずれな情報を垂れ流し続けていた。役所からの発表は信用出来ない。まるで後手後手の対応ですべてが間に合わない。その時間にいったいどのくらいの人々の命が亡くなったのだろう、果たせない多くの未来や「夢」がきえたことだろう。被災者達の「オレ達は国に見捨てられた」という怒りの言葉にその通りだと思った。こんなひどい被害に自身もあいながらも、人を思いやりたがいに助け合う被災者たちのすがたをみて「国民の命と生活を守れない」日本という国にだんだん腹がたってきた。国民を助けることの出来ない国。何の役にもたたない政府にはじめ怒りを感じそして深く失望した。「くそっ、なんて最低の国だ」と何度も車の中で叫んだ。

 
パンドラの最後は「勇気」と「希望」

 そんな怒りと絶望の中で、唯一「勇気」をもらったのはボランティアの人々たちからだった。日頃はそんなボランティア活動をする者に対して皮肉な見方をする自分であったが理屈ではない、圧倒的なそのパワーにそれまで持っていたチマチマした考えは吹っ飛んだ。カッコよかった。人のために自分自身を勇気をもって活かす。人のためになることは何かと本気で考えてすぐ行動する。その多くのボランティアたちの姿に大きな大きな勇気をもらった気がした。そしてもうひとつの「希望」をもらったのは、だれあろう廃虚の中からなんとか自分達の足で、しっかりと地面を踏みしめて強く立ち上がろうとする多くの被災者の方々からでした。そこにはまだまだ人は捨てたもんじゃ無いという希望がありました。どうだ!人は強くたくましいゾ、哀しみにいつまでも負けてはいないゾ、被災者の人々の姿からそのような希望を感じ取ることができました。

 そして、たしかに政府や役所、企業の組織は硬直化していて対応も遅くて役たたずのデクノボウだった。でも役所や企業の中のひとりの個人、ひとりの人間はとても温かだった。ひとりの人としての対応は柔軟で素早く温かなものだった。何かをせずにはいられず多くの人々が会社や学校を休んで神戸にかけつけた。そしてボランティアと被災者、被災者と被災者どうしが助けあい人々のこころがつながっていった。ひとは大変で苦しい中であってもお互いに助けあい、ささえあうことができる。本当に真っすぐな優しい心を持っているんだと強く感じた。そして思った。「勇気」と「希望」をもらったことで、これから恨みと失望だけを持って生きてゆかずにすんだ。その大切なものをもらったお礼に私なりのスタイルで阪神淡路大震災復興のお手伝いをして行こうと決めた。

 
成人式で神戸の10年後をおもう

 震災1年後の成人式会場のテレビインタビューをみた。震災で自身も被害を受けたこと、そして親しい友人を失ったことを話した青年が「亡くなった友人の分も自分がしっかり震災を乗り越え生きて行きたい」と答えていた。じんと来た。心や身体でつらさや痛みを経験したことのない者が、真の思いやりや優しさを持てるわけがないという。たしかに君たちは多くのものを失っただろう。しかし君たちは本当に何が大切なのかを知ることができた。なにものにも惑わされない確かな目とこころを手に入れることができたと思う。そして若い君たちには何よりも素晴しい未来を作り出す可能性を持っているよと。そう、こころから青年を応援せずにはいられなかった。

 阪神淡路大震災を経験した若者やボランテアに参加した人々は、全国でいったい何名ぐらいいるのだろう?たしかに大震災はいまもつづく不幸な出来事ではあるが成人式を迎えた彼らが10年後、30歳になったときの神戸はどのようになっているだろうか。人々のこころには「勇気」や「希望」が失われずあるだろうか。素晴しい神戸にきっとなっていることと信じたい。そしてわたしも彼らに負けないように10年後もかわらず「勇気」や「希望」をなくしてはいないおやじでありたいと思う。(文:高橋栄策)



■関連するホームページ

●阪神大震災から8年
http://www.channel-e.tv/voice/herohero/nichidiary/library/2003/1jan/11-20/030117.html

●市民プロデューサー講座
http://www.channel-e.tv/voice/herohero/npo-v/vkyo/citizenproducer/contents.html



新着情報 四季の歳時記 グルメ歳々 お得な情報
観光・旅行情報 施設紹介 イベント情報 あらまし


CM_LINK
CM_LINK

へろへろBのMOフォルダ内 所蔵 
2006.1.2 より 本日の来場者 昨日の来場者 累計来場者


back     home     next


copyright (c)1997. Eisaku Takahasi. all rights reserved.